常識という言葉

今日はちょっと趣向を変えます。

表題通り、常識という言葉について。

私は仕事を行う上で「常識」という言葉を使わないようにしています。
理由は、自分の「常識」が相手に通用しないのを理解しているからです。

また、「常識」という言葉を使う相手を信用しません。
理由は、それ一言以上の説明方法を持ち合わせていないからです。

では考察をば。

まずは用語の意味から。英語で言うと、「Common sense」

一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。
デジタル大辞泉

常識,判断力 《★【異文化】 日本では「常識」は社会的儀礼としての知識だが,英米では人生の経験から身についた日常の実用的な思慮分別をいう》
新英和中辞典 第6版 (研究社)

研究社の方は面白い結果となりました。
確かに、移民の国であるアメリカでは、民族が違うことによる文化や宗教的な違い、貧富の差や教育格差などがある為、「常識」なんて言葉を使って仕事をしていれば、とんでもないことになるケースが多発してもおかしくはないですね。

常識という言葉を使うこと自体が、不適合の原因になりえると。


日本の場合はどうなのでしょうか?
歴史を紐解けば、昔の人は生まれた場所からの移動距離は30km圏内で、大体がその範囲で生涯を終えるという話を聞いたことがあります。
確かに農村では、縁組で結婚式などに出席するとか輿入れするとか以外では、そもそも遠出する用事がなさそうな印象です。
アメリカのような考えや文化、宗教といった価値観の違う人が入らないので、共通認識は持ちやすいでしょう。悪く言えば村社会ですね。
 産業革命前であれば、生まれてから死ぬまでの間で使う農具やらに大きな変化があったわけでもないでしょうし、、、(寿命も今のように長くないですし)

産業革命後は様々な文化が日本に入ってきたことで、今までの価値観が通用しないケースが多く発生してきたんだろうと予想します。

イメージしやすいように言えば、「電話をする」となると、今では「携帯電話」使うのが一般的でしょうが、一昔前なら「固定電話」が一般的です。

このように、産業革命後の今における「常識」とは、10年もすれば通用しなくなるケースがありふれているといえます。

24時間ストア(セブンイレブンなど)やパソコンだって、登場した当時は酷いものでした。

ISO14001とか省エネ風だと、今だとちょうどタイムリーに切り替わっているのが照明器具でしょう。
一昔前の人なら照明と言えば白熱球が一般的、今からちょっと前なら蛍光灯、これからだとLED,さらにその次の世代はEL照明が、、、、という風にです。

芸能文化も今の40台50台だと、おニャン子クラブ、今だとAKB、、、
といった感じに、世代による「常識」は、「常識」を多用する人が考えている以上に「使えない情報」であることがうかがえます。

最初に移動距離30Kmの話をしましたが、今では交通手段が進化している点と、地元就職が厳しく大都市に上京して就職、その後配転して職場には様々な出身地の人が混在する、、、なんて職場も少なくはないでしょう。

そうなると、育った地域差による違いも出てくることから、常識というのがどれだけ役に立つのでしょうか?

私が一番カリチャーショックを受けたのは、茨城県つくば市でのことです。
順番待ちに並んでいたらおっさんが割り込んできた人がいたので(私の前に割り込んだのもありますがw)そのことで「先に並んでいたんだから後ろに並べよ」と注意したら「女の代わりに割り込むなんて常識だろうが。てめぇぶっ殺すぞ」と言われたことでしょう。しかも周りにいた人も特にその言葉に反論も注意もせずにスルーするだけでなく、頷く人もいたのにかなりショックを受けました。*1

就職や再就職の考え方についても、バブル期の方と今の超氷河期の方では違いでしょうし、食事事情も戦前戦後の配給経験者と今ではまるで違います。


とまぁ、こうして考えてみると、日常における面についてもいろんな「違い」があるのに、常識という言葉がいまだに通用する(または通用すると思っている)ことに、驚きを感じる今日この頃です。

「聞き手の無精は話し手の不精」
by 石田純一

*1:その女の人ってのは現れませんでしたがw