技術の伝承について

若手や女性の研究員の研究施設にお金を出す。という内容について、先日私の所見を記載しました。


その中で、「技術の伝承」について述べましたが、今回はその事について考察を行ってみたいと思います。




まず、私達は国家で定められた技術をすべからく伝承しています。
「学問」
と言う形で、数学や国語、物理に化学といった様々な勉強を幼いころから、教育機関で受けてきているのですから、「技術伝承されていない」という日本人は居ない事でしょう。




さて、ここまでで予想される懸念事項としては二点ほど思い浮かびます。
1.技術の伝承をされても、伝承された技術を使わない。
2.技術の伝承をしたくても、技術の理屈がわからない。




「1」に関しては、みなさんは良くわかると思います。
学校で習った知識のうち、すべてを使うなんて人は存在しません。
日常的に使うのは、小学校の数学と最低限の読み書きができる程度の語学くらいでしょう。
「2」に関しては、教育機関に通っている中で、講師の言っている意味がわからない。勉強についていけない。という経験のある方が該当することでしょう。
英語なんかは、文法を理解していても単語が分からなければ意味は伝わらないし、その逆もしかりです。




以上より、ここまでの結論として、技術の伝承を効率良く受けるにあたって必要な前提条件としては
「伝承された技術を使用する予定がある事」
「伝承された技術を使用する為に必要な知識もまた、同時に伝承する必要がある事」
となります。




こうなると、学校で学んでいる事の大半は「無意味・無価値」と化しており、「無意味・無価値」の為に、私達は多くの時間と労力とお金を使用しているんだな。と言うのが分かりますよね。




「無駄を含めて学んできた経験があるから、今の自分(人格)が構築されている。無駄をなくしては、今の自分とは別人となる」という考え方の元、「無駄と思っていた事も実は無駄じゃない」という意見もあるでしょう。
ただ、その点については「比較」が出来ないので、水かけ論であります。


なので、「人格」はこの場合は削除すると、やはり「無意味・無価値」な時間を過ごすよりは「有意義・利益的」な時間を過ごした方が、生産的ですよね。