休日に業務指示を出すが残業にも休日出勤扱いにもならない件について

本日は単なるチラシの裏です。


「〜の報告書を月曜日までに」
「〜について意見を月曜日に一人最低でも○件発案してもらうので休みの間に考えておくように」

このような感じで類似する指示を受けたことがある人は多いかと存じます。

捻くれ者のマサ(柾)は、「これ、休日間での業務指示だよな?」と思うわけです。
「考察」や「まとめる内容」を頭の中で「考察しておく」という業務に関係することに使用するわけですから、当然指示を出した以上、休日勤務扱いにするのが筋ではないのか?(俗にいう「持ち帰り仕事(命令)」というやつを考えたわけです。

また、資格取得のための勉強時間もそうですが、「受験日」に受験するために受験会場に行き、試験を受ける。
「資格取得をしろ」という業務命令の為に休みの日に試験を受けに行ったのにかかわらず、残業にも休日出勤扱いにもなりません。
これも、業務で推奨しているのであればともかく、職場で職員の能力アップ計画に基づき受講する資格を課等で決定しているわけですから、業務の一環として休日出勤扱いにするのが正ではないのか?(自発と社命の違いは、取得後に会社に申請義務があるかないかの違いです)

と思い、いろいろと検索をかけてみました。

持ち帰りについて
資格取得のための休日受験について

  • 前者:前者については残業申請を労働者が実施した場合は、会社は拒否しにくい。

 この場合、上司と対決する可能性がありますが、業務命令所がない場合、「いつ、だれが、どこで、だれに、どのような指示を出した」か。をきちんとメモしておく必要がありそうです。
 原則として拒否権があるので、指示に従わないということも可能でしょうが、あとから「残業として扱うつもりだった」と言われたら「業務命令違反」になる可能性もゼロではないので、やるべきことはやってメモって、戦う時になったら武器とするのが正かも。

  • 後者:業務命令、業務指示の元に資格を取得する以上は休日出勤扱いになる。

 基本は同上。ただ、前者は課長等の判断に基づくものですが、この件については「会社」の判断に基づくものになるのが一般的です。受験日、受験時間、移動時間などをメモしておき、辞める時(退職する時)などで一気に残業扱いで申請するのがよいかもしれません。
 60歳から65歳の間、時間が空いているのでしたら暇つぶしになるかなと。


考察
この手の労働環境について、調べれば調べるほど、海外の人が「日本人はクレイジーだよ」というのがよくわかります。
今回の件についてはほかに「移動時間を労働時間扱いにするか?」という問題も含まれています。
勤務時間帯に移動してもOK扱いにしている会社でも、勤務時間外に移動する場合は勤務としてはNGとするダブルスタンダートは一般的でしょう。

業務命令に違反する事はナンセンスですが(労基上、業務命令として残業時間でも命令できる時間外勤務時間があり、それを超える場合は扱いが変わる)、業務命令に従って実施した業務に対して報酬が支払われないことを良しとしている点(サービス残業)が、クレイジーといわれる所以の一つでしょう。

業務命令までいかないがニュアンス的に参加しろよという圧力、または推奨されている、または参加することが望ましい等での指示があった場合で拒否した場合、日本の場合の多くは「上司に悪印象を与える」「本人の出世や業績に影響する」などの暗黙の報復が存在します。
報復をしてしまうと当然パワハラなのですが、であればパワハラである旨を訴えてしまうと、仮に勝訴してもその企業で勤め続けるには空気が悪くて爪弾きになります。
出来ることといえばその前段階で転属願を出すくらいでしょうが、企業自体がそのような雰囲気だと意味がありません。
労働基準監督署監督責任を果たしていれば、もう少し各企業は開放的になるでしょうが、、、、、

6・3・3教育の中で経験したことがあると思いますが、「この問題が解けるまで帰るな」「この問題が解けたら順に帰っていい」という教師の使う言葉。
学校教育の中で教師により、「出来るまで帰れなくて当然」という刷り込みが繰り返し行われ、社会に出るころには生徒の洗脳が完了。
社会に出ると、必要工数時間で出来て当然、出来なければ出来るまでやれ。必要工数分の人件費で出来て当然なんだから、それ以上の工数がかかったのは作業者が悪い。出来るまでやるのは当然の事、その分の人件費の持ち出し分は作業者が悪いんだから作業者が負担(サービス残業)して当たり前。企業としては、その業務にかかる工数工数分の人件費しか支払いませんよ。当然、その業務はきちんとやってね。
言われた方もそれでやってくれば、当然いう側になればそう言いますw
異論を挟めば村八分にされるので、怖がって従うという悪循環システム。

村社会システムの良いところは全員参加という所ですが、協調することがシステムとして組み込まれていますので、個人の協調能力の有無が問われません。
個人の意思の介在する余地がありませんから、協調能力は育たなくなります。(つまり、「言われた事だけをしていれば良い」「全体の意思に任せて参加すれば良い」という思考停止に陥る)

私的に言えば思考停止甚だしいとしか思えないのですが、、、

この考えを裏付けるかのような研究結果も出ています。

サービス残業が当然という考えが、村社会システムの中に組み込まれてしまっている以上、変えることは難しそうですが、、、割と崩壊していっているのも事実です。
村社会システムの場合、「出来ない人を見捨てはしない」という前提もあります。*1社員全員が「家族」という認識に基づいて成立するシステムですので、当然「出来ない人も育てる」とか「出来るまで付き合う」、「出来る人が手助けをする」という義理人情な良い面が当然存在してこそのシステムです。しかし実情は社員は「社畜」扱い。社員も会社を守る気がない。極めつけは日本人ではなく外国人を起用する。
 いま、私たちに必要なのは、従来のシステムの中で一緒に死ぬことではなく、新しい変化についていき生き残ることです。すでにサービス残業をする時代もさせる時代も終わったしそれは通用しない。という事を念頭に入れて、新しい変化を受け入れる職場環境を整えることは必要になってきたといえましょう。

本日はも異常運転は良好と。

*1:見捨てる場合は全員の総意という冷たい面もありますが