当時の朝日新聞の行動 東条英機について

実は、陸軍大臣兼首相の東条英機が最後まで太平洋戦争の開戦に反対していたのは意外と知られていない。
朝日新聞が盛んに開戦を主張した事実も意外と知られていない。
「東条の弱腰。必ず勝てると分かっている戦いを何故戦わぬか」などという、すごい題で社説を組んだりして、連日のごとく開戦を煽っていたのが朝日新聞

そして、それを信じ込んだ国民が暴徒となって東条首相の家に押しかけた。
開戦しろだの、アメリカと戦争しろだの言う怒号とともに続々と石が投げられ、東条家の窓ガラスはことごとく割られた。

家の中で怯えて震える奥さんを抱きしめて「耐えるのだ、ひたすら耐えるのだ」と諭すように言っていた東条英機首相のエピソードも意外と知られていない。
報告すら必要のない機密費にさえも、一つ一つ丁寧に領収証をつけて報告していた、今の政治家とは大違いな清廉潔白な人でもあった。

朝日新聞に煽られた国民の声に抗しきれずに開戦に踏み切ったわけだが、朝日新聞は戦後になるとコロッと態度を変え「朝日は一貫して戦争に反対してきました」などと言い出した。
しかし、図書館に行くと新聞の縮刷版があって戦前の朝日新聞の記事を誰でも読める。

開戦を煽ったことがばれた朝日新聞は「言論が封殺された暗黒時代だったから仕方がなかった」と事実を認めつつも責任転嫁をしたのだが、言論の暗黒時代に「東条の弱腰」などと言えるだろうか。
マスコミとはこのように恐ろしいものなのだ

ネットで見つけた書込みを引用しました。

Wikipediaの情報を読むと、確かにこの人は会戦を望んでおらず、和平を望んでいるのがわかります。

しかし、この書込みが本当なら、
戦争責任は朝日新聞社がとるべきでしょうねぇ。