外部審査員の力量ってどんなものよ?

結論は


「外部の審査機関の審査員は力量不足である。ただちに是正処置を認証機関(JABやらUKASやら)は実施すべし」


という「観察事項(笑)」を送信します。




ISOが「金儲けの為に造られたシステム」なので、結論は見えていますけどね。


観察事項ですので、このままでは「マイナー(軽微)」となり、それも放置すれば「メジャー(重大)」となります。


その理由について考えます。


内容的には外部審査に出てくる「観察事項」ってどうよ?の続きです。






 私の知っている審査員には、「法的要求事項が守られているかどうか。法規制登録簿に関連する法律が記載されているか?(環境関係なく)」の部分をチェックするのに主眼を置いて、ISOの規格要求とか二の次の人もいます。

はっきり言えば、コンサルティングしているか法的監査を行っているようなものです。



 まぁ、組織としては、そういった監査を行ってくれた方が、ISOの規格の監査をしてもらうよりもメリットはある(有効性が高い)のですが・・・・・・・


 それはそれでありがたいのですが、私から言わせてもらえば、規格審査は二の次で法的監査を行うのは「逃げ」であり、審査員が「法的監査」を行う「力量」は「証明されていない」し「記録」もありません。
 ISOの規格では「4.4.2 力量、教育訓練及び自覚」で、それらは要求されているのに審査員はその要求事項を満たしていない。その要求事項を満たしているのは「司法試験に合格した弁護士や裁判官、検察官」くらいなものでしょうがw


 なので、「法的監査」を行ったとしても、それはすべて「かもしれない監査」です。最も、上記職業以外の人が法的監査をする行為その物は、やばかった(法律違反)気がします。



話がそれましたので戻ります。
 結局のところ、適切なISO審査が出来ないから、その様な法的審査を行う。または、審査員そのものがISO審査を行うこと事態「意味が全くない」という事に気が付いているからだと判断しております。




 結論で「観察事項」と上げていますが、上記のような「ISO監査の意味のなさ」と「監査を意味のあるものにしたい」等を行う監査員が出てきている。今後の増減は分かりませんが、実際、法的監査は現状ですら「マイナー(軽微)」となっている状況ではないでしょうか?






審査機関側は、ISOを認証取得している組織が「記録をねつ造している」と言っています。

 上記の様な審査やこのような発言を行う、及び経営層が「ISO取得は意味がない、維持することは意味がない」ということに気がつき、目覚め、認証を「十分にISOのシステムを当社のマネジメントシステムに取り込むことが出来た。そして、システムを改善し当社の経営理念や運用方針、安全や品質といった他項目と統合を検討しており、新システムは規格にあわないので認証を返上する」とでも「規格を超えたシステム作りをする」とでも言って返上しだす企業が増える。


規格その物に意思は有りませんが、その理念から言えば歓迎すべき事態です。


ですが、規格を作った人達や認証を与える人達、審査をする人達にとって「お客が減る」という事態は
「メジャー(重大)」な状況ではないでしょうか?




「審査機関による審査は、適切である」
ということなら、ISOの規格その物が「顧客要求にそぐわない欠陥システム」となります。
そうでないなら、問題は「審査機関による審査は適切ではない」となります。


「組織等がISO規格に関する知識や認識が間違っている」
というのはお門違いです。


だって、「道具の使い方がおかしい」というのは「道具の正しい使い方を審査する」のがお仕事の審査員が「出来ている」と太鼓判押しているのに「出来ていない」というのは変でしょ。これは審査員に問題があるという事でしょ。
「使い方が変」だから、「観察事項」やメジャー、マイナーと判定して、正しい使い方を始動させるのが審査員のお仕事でしょ?




ちがいますか?



 システムに文句を言っても仕方がありませんから、システムは問題ないとすると、やっぱり審査員の力量が不足しているとなり、「不適合!!」という判決というか、結論となるわけです。




 一つ断っておきますが、すべての審査機関の審査員が「力量不足」とは言いません。
すくなくとも、私の経験した範囲内での結論が「審査機関の審査員は力量不足」であり、「力量十分」な審査員とはあった事がありません。


 もし、それがマイナーなケースであり、一般的には「審査員の力量は十分である」のであれば、マイナーな審査員に当たり続ける私の運が悪いという事なのでしょう。
(法的監査を行う審査員に対しても、それは「逃げ」と判断し、本来業務(ISO監査)で勝負できない奴は「力量不足」以外何物でもない、という認識ですけどね)