不適合事項:閑話休題

審査員、事務局、認証機関、認定機関と色々と「不適合の原因」を追跡してきましたが、どうにも「不適合の原因を他者に求める」という傾向ばかりで、自分自身にウンザリするこの頃です。


意識はしていませんが、「原因」を追い求めていくと、結局のところ「システム」ではなく、「人」になってしまうんですよね。
「システム」だって、人が作ったんだから。




ISOだけではありませんが、安全にしろセキュリティにしろ、事故や情報漏洩を起こすのはシステムではなく、それを運用する人の問題が殆ど。


「バグ」が発生したから、会社で保有している「個人情報」が「勝手に流出した」なんて事は、起こりませんし。
(ウイルスによる流出は、ウイルスに感染した人が原因)


「バグ」が発生したから、車が急加速して電柱にぶつかった。なんて事は、殆どおきません。やはり、人の不注意です。
プリウス急加速の件は、ヒューマンエラーでしたしね)




すべての原因の行きつく先、それは
どの段階の人の問題だとしても、その人を管理する責任者が存在し、その人がきちんと管理していれば問題が無い。と繋がっていき、最終的に社長に行きつく。
という結論になります。


が、社長が責任をとる事はないよねーw。 という愚痴。




まぁ、現場の作業員の直上の管理責任者くらいまでは責任を取らせる事が出来るんでしょうけど、そこで終わりが現実ですよね。




結局、何がここで言いたいかと言うと
「不適合の原因が人にあっても、その責任を追及する事は不可能だし、それを是正・予防処置を施した所で事故ゼロには出来ませんよ」
と言うことです。
理想論でいえば可能ですが、現実は責任者の書く責任を追及していくと、必ずしっぽ切りが発生するから、絶対不可能。
自分は責任を取らないのに、「事故をゼロにしろ」と下に要求する無能な責任者は死ね。




そう思う中間管理職の方や、同じような経験をした方はいらっしゃるはずです。
すくなくとも、私と私の友人はこれを経験していますから、それなりにいて当然。
断固、個の様な無責任管理者とは戦いましょう!!。





なので、是正・予防処置を行う場合、その効果を求めるのであれば人(個人)に対してのアプローチではなく(しても効果は現れないのは絶対である為)、作業環境に対してアプローチを行いましょう。





KY活動は予防効果はない
人と作業環境の両方を対象としていますが、KY活動の問題点として効果を評価できない事にあります。
また、予測できる事故は未然に防止できると思われがちですが、「慣れ」はその効果を失わせます。
自主的に危険を予測するならともかく、啓発されて危険を予測しても「させられている感」が存在する限り、効果は不透明です。
不透明ということは、増えたり減ったりする事もあると言う事です。

また、このような活動はすぐに「作業を行う前の作業」となってしまい、効果は無いというのが私の持論です。
なので、個人的は「KY活動」と呼ばれる行動を私は「祈りの儀式」と呼んでいます。
真の予防とは(現場のみ)
行きつく先は、人の除外。不可能ですけど。
この手の話をすると、人間工学を持ち出す人がいますが、注意点として人間工学では、「事故・ミスを可能な限り少なくするための研究」という側面を含みますが「事故やミスをゼロにする」という側面は含みません。
ゼロかイチか。と言うのはそれだけ大きな壁があるわけです。
なので、「ゼロ」には出来ない。と言う前提で「真の予防」を求めるのであれば、人間工学の専門家にお金を出して、現状の作業環境からさらにエラーリスクを減らす事が可能かどうかの調査を依頼し、可能の是非を問うのが限界となります。
素人が頭を悩まして対策をしても無駄です。客観的な評価の出来ない事をやっても、効果の有無を説明できませんし効果の確認もできないのですから。
真の予防とは(管理者)
人は誰しも、無責任な責任者であろうとしますので、管理者レベルでの真の予防なんて存在しません。
あきらめましょう。
唯一例外を言えば、「変人」と呼ばれる「普通じゃない人」を管理者にすれば、効果はあるかもしれません。
何故か。
責任者は仕事を責任を持って行い、管理者は部下を正しく管理している。なんてのは建前。
実際は責任を持って実際は仕事をしていないし、管理者は部下を正しく管理できないのが一般的であり普通なのです なので「一般人」ではない人に任せる事で、多少効果が出てくるわけです。
責任のある仕事は、普段から「彼って責任感が強いよね」と評価される人でなければ無理です。
「仕事は責任を持ってやるのが当然」と思うかもしれませんが、それが当然なら「責任感が強い」なんて評価をされる事が「変」だと思いませんか?仕事をするうえでは当たり前のことなのに、当たり前のことがなぜそのような評価をされる?
なので、一般的な人から見れば、「責任感が強い」と評価される人は「変人」の部類になります。
管理者も同様です。「あの人、良く見てるよね」なんて評価は変です。管理者なんだから「見て当然」。
「責任感の強さ」もそうですが、「良く見れる人」は「レアケース」
よって、管理レベルでの真の予防の限界点は、「変人」と評される「レアケース」の人。
変人やレアケースは悪い言い方で良い言い方をすれば
それをこなせる能力を持った、一般人以上の「秀才」や「天才」であり、人として「義にあふれた」自分に厳しい人
が該当します。

結局のところ、それだけ要求事項(力量)が高いと言う事です。 しかし、今の会社の制度でいれば、ある程度の勤続年数とある程度の会社への貢献があれば、ある程度の役職に就けるのが現実であり、そこに上記のような要求事項や力量は含まれないのが現実なんですけどね。




結論は意味がないとなってしまいました。
まぁ、当然ですよね。
「注意して作業に臨め」
といっても事故は起こる。
ヒューマンエラーが原因で。


自分にできる出来ないに関係なく、他者にそれを要求するのは人の性でしょう。
子供に「ご飯を食べる前に、手を洗ってうがいしなさい」と言うのと一緒。それを言う親(大人)はやってないじゃん。という矛盾。
それが言わずとも必ずやるのは「潔癖症」を含んだ本当にレアケース。


なので、原因が「人」だったら、真の是正と予防はあきらめ、「やってまーす」というパフォーマンスに落ち着きましょう。
まじめに考えても無駄なんで。