馬鹿にならない通信費

通信基本料金が三割削減すると。

割とネット通信費用も馬鹿になりませんから、これはうれしいですね。
大体1500円くらいの値下けとなると、年間1万8千円。
おー、冷蔵庫を買い替えた、電気代徳子さんを買ったとかよりもお得のようでw

モバイル通信に切り替えを検討していたので、ちょっとどうするか改めて悩みますねェー
来月になったらちょっと確認して、新規契約オンリーなら解約をマジで検討しようかなと。
(WiMaxがサービスエリアになったため)


しかしこれ、価格競争を見ると

無線常時接続がでふぉで、
電話番号→メールアドレスに対してコール(専用の常駐アプリ)
通話→スカイプ
という流れでになってきそうですなぁ。

現役総理と安倍さんの討論結果

記事:安倍VS野田 日銀めぐり大ゲンカ 株高&円安進行で民主に危機感


野田首相は中間者層向けにこのような頓珍漢な発言を行ったのだと思いますが……

目的は印象操作であり、結果として安倍さんがあきれた。
要するに、政治といったものに興味がない人たちに対して印象が悪いように思わせる発言を行い、選挙で自民党ではなく、民主党に対して投票してもらおうというもの。

そもそも、一ドル80円前後が空前絶後デフレといわれているのに、100円になると超絶インフレで120円になるとハイパーインフレが起こるかのような物言いはすごいとしか言いようがないですね。
今更120円まで戻り、日経平均株価が1万4000円戻ったとしても

しかし、首相でもない野党でもない人の発言だけで9兆円もの経済効果が発生するなんて、ちょっと異常すぎてついていけない…………。

それだけ彼の発言のインパクトと期待感が大きいことなんでしょうが、上手くいかなかった場合の反発もまた怖いですね。

安倍さんの発言のポイントに、国債を日銀が買えというもの。
この件で経済学者の方々は警告を発信しています。

個人的には、国債の発行限度額との関係があるから、アメリカの様に限度額の引き上げなりなんなり、国債を継続できる状況を作り出す必要はあるんじゃないのか?

その辺、なんで議論に上らないのだろうか? と思ってググってみると
記事:日本の「借金限度額」は一体いくらなのか?

「“純資産”は約1100兆」とのこと

借金時計のサイトでは
930兆円弱。

実際は対GDP比で220%は自転車操業できるとのことらしいので、もうちょっと発行できそうです。

自転車操業の意味(たぶん)
国債には利子がつきますから、発行が増えれば増えるほど利子の支払いがきつくなって首が回らなくなる。回る状況を「自転車操業」と表現しているものと考えられる。


日銀総裁である白川方明総裁は
1.「中央銀行が直接国債を引き受けると、通貨の発行に歯止めが効かなくなる」
2.「国が肩代わりと誤解されると、(国債が売られ)長期金利が上がり、財政再建にも実体経済にも悪影響が出る」
3.「3%のインフレ目標は現実的でない」
とコメントしている。
記事:「安倍インフレ財政公約」で株価上昇・円安―後ろでシナリオ書いてるの誰だ?

意味:インフレターゲット

野田:「戦争時に同じことをやったからダメ」

ようするに、戦争時に国債を発行しそれを銀行に買わせた結果、日本は国債を白紙化(財政破たん)することで、なんかとんでもないことが起こりますよーというのは主張の背景にはあるのでしょう。

アルゼンチンが国債を白紙化した時に起こったケースで言えば、ハイパーインフラ、治安化悪化、国民の海外流出などがありました。
同じことが日本でも起こるのか?

というものですが……アルゼンチンと日本とでは比較するには条件が違うと思うんですよね。国債ってほぼ日本人(銀行)が買ってるし。

それに、日銀は間接的に国債を購入していますし、、

日銀:「間接購入はOKだ。 しかし直接購入はNGだ」

よくわかんねーw

・通貨の発行に歯止めが効かなくなる
と言っていますが「3%のインフレ目標」があるので、目標達成条件がある時点で歯止めがきかないという事はあることはないと思います。
この数値が、CO2排出量99%削減とか、そういう実現不可能な数値というならわからなくもないですが、

記事:安倍の「インフレ目標3%」に専門家から批判続々
ここでは「ドル安」のアメリカと比較がされ、現実的ではないとしています。
円高の日本に当てはまるのかという検証がされていないのが残念です)

すうちとして「とんでもない」としていますが、wikiの方では

多くの中央銀行で物価目標を設定する試みが行われているが、設定するインフレ率(例えばイギリスは2.0±1%)や政策目標への拘束力などは様々である。金融政策の透明性向上[7]や予想インフレ率を安定化させることから、日本でも導入を求める声がある。だが、これまでの実施国の多くがインフレ抑制の手段としてこれを用いていることからデフレーション克服に用いることに関して疑問視する意見が存在しており、日銀はこの提案を受け入れていない。日銀は0〜2%の物価上昇率の目安(日銀の認識を示す目安であって、日銀の政策目標としての規律性は持たない)を設定しているが、インフレ・バイアス(日銀が物価安定の指標として用いるCPI(消費者物価指数)は統計の性格上、1%弱の上方バイアスがかかるとの研究報告がある)まで考慮するならば、ニュージーランド準備銀行が採用しているように1〜3%の幅で目標インフレ率を設定するのが望ましいとの主張がある。

経済アナリストの中には、アメリカのドル安政策が終わる点と人民元高騰により一気に円安に振れる為、3%は簡単に突破するという考えをしている方もいるようです。

どうにも「3%という数値が高い」という、数値を下げれば納得するのか? というツッコミがしたくなる意見や「すぐに突破するから意味がない」という、じゃぁやっていいじゃんと思うような意見が散見されます。
日銀総裁を含めて、そもそも数値に文句を言うということがどういう意味を持つのか理解していない状況。

賛成するにも、反論するにも、論が足りずに議論する状況にすらなってないんじゃないのかと思う。

う〜ん、誰か双方の主張と問題点をきちんと客観的にまとめたまとめサイトを作ってくれないかなぁ(他人任せ)

世の大半の環境方針は間違ってる?(2/2)

この物語はフィクションです。実際の登場人物や団体は架空の物であり、実在の人物ではありません。
主な登場人物

前のお話

「メールでは書かないけど、、長文すぎるから」
彼はそう前置きして説明を開始する。

規格の要求で想定している環境法品や経営方針は、ソフトバンク社長が『太陽光発電をやる』とつぶやいたように、経営陣が決定した事業戦略*1に近い。

雅は、個人的に日本語で翻訳された言葉が「方針」は意味的には日本にはなじまず、『戦略』(または方策)というのが意味としては適切だと感じており、この件についても誤訳と感じているとのこと。
世に公開されている、日本企業の「経営方針」は内容的には「経営理念」でしかないと感じていることも、その背景にあるらしい。
その為、単純な単語の翻訳ではなく、前後分と現地での使われ方などを考慮すると、『戦略』に落ち着いたのだという。

ただ、総合研究センターという国立研究所の場合、組織の運用方針や事業所の経営方針、経営内容はセンター長だけで決定されない。正確にはセンター長が決定するのではなく、所轄の省庁である文部科学省内に設置された委員会ですべてが決定される。

「その委員会の委員にセンター長は参加しているのか?」

そう訪ねてくるが、私はそこまでは把握していないため、答えられない。

雅は、参加するとしてもせいぜいが理事クラスにあたる人だろう伝える。
経営が独立していないため、研究所そのものに「経営層」は存在せず、存在する「所長」の役割は「エリア管理責任者」の範囲を脱するものではなく、その権限と責任もそれ以上は与えられていない。

仮に方針を策定する場合は、「エリア管理」に限定されたものになるだろうと伝える。

この問題は特に国立研究所に限ったことでもなく、国立学術研究所に分類される「国公立の大学」を含む学校法人も同じだし、民間でも当社のように本社が別に存在し、工場や事業所が独立しているような場所も基本は同じだと伝える。

結局のところ、採算を含めて経営が独立しているかどうかがポイントになり、独立していない場合は方針だけでなく経営活動そのものを所長が勝手に変更することができない。

これは独立行政法人も同じで、本来は組織経営は「独立」させているから「独立行政」となっているのであるが、実態は「独立していない」状況である故、中身は全く同じらしい。

正確には理事長や理事クラスが所轄の省庁に逆らうことは可能だが、省庁の役人が独立行政法人の理事も兼任しているという首環付きの為、それは事実上できない。独立しているというのは建前だけの話であり、実態はそのような運用となっている。天下り先機関というのが先に来ており、天下り先を作る理由づけに独立行政法人という名称で国民を誤魔化しているだけなのだそうだ。

雅はジャンクフードやフランチャイルズ系列がよく使う雇われ店長と大して変わらないのだから、方針や戦略といったことを期待するのは酷だろうという。

「結果、やってることはエリア管理、設備管理、物品管理の範囲は超えないだろ? で、太陽光といった花形は全部本社でしか決定されないし、本社が全部、名誉も成果も何もかも、『目に見える成果』はすべて持っていくと。なんというか、馬鹿らしくなるよね」

犯罪者を捕まえる刑事課が花形部署であり、世間でも所内でも評価され、犯罪の発生を抑制する他の課は犯罪発生率が低くても評価されない。重要度と難易度は後者の方がはるかに上であるのに、現実はあまりに残酷だ。

雅の言うことは、そんな感じのようなことのようだ。

確かに、設備改修する為に、環境保全のためという名目で要求しても却下されるのが実態だ。仮に「環境方針で掲げている」なんて理由で予算が通るなら(センター長がお金を持ってきてくれる、持ってこれる、予算枠を確保してくれている)なら、その範囲でソフトバンクの社長が太陽光をやると決定したようなことを、センター長も決定できるだろう。

「―――以上を総括すると、環境方針なんて掲げる必要は本来ないんじゃないか?

最初、雅が何を言っているのかわからなかった。
だって、管理するうえでも管理方針あたりは必要だろう。

「―――その方針はセンターが独自に決定するものなのか?」

方針や戦略がなければ管理手順を定めないのかということらしい。

また、事業計画は本社で決定されているため、その計画に基づき工場が作られ、設備が配置される。その中で管理手順が作成されるし、運用基準も設定される。工場の設備の設計も方針もなにもかも、『工場が作られる前に決定される』。
生産量の増加が必要であれば、それについてもすべて本社で決定される。
法規制のチェックや届け出なども『工場が操業する前に終了している』

その後、その工場に、所長が配属されて方針が制定されて目的目標が設定され実行計画が定められ、そして手順が作られる。
としても、じゃぁ具体的に『新たに決定されることはどれだけ残っているのだろうか?』

実態は、先に作られた手順や設備の『管理』に集約されるのではないか?

そうなると、経営方針といったものを、センターや事業者、工場では独立したものを掲げても意味はないだろう。ということらしい。

「所轄の省庁、総合研究センターであれば文部科学省からの要求をそのまま方針に反映させる必要がある、、、というのが相田の弁だけど、そもそもそういうのは、実行で必要なことをやっているか?が重要であって、方針に宣言しなくても法規制その他の要求事項登録簿に記載して評価することで満足することができるだろ」

そうなのだろうか? だんだんわからなくなってきた。相田君の言う入れないといけないというのはどういう意図なんだろう?と尋ねる。

「活動方針に要求事項であっても取り込んで活動内容を整合性をとる必要がある。という考えのようだ」

なるほどと思う。しかし雅の考え方は別のようだ。その理由を尋ねると

「――じゃぁ、方針に掲げるべき要求事項と掲げないでよい要求事項は、どこのだれがどう線引きするの?明確な判断基準は必要になる。まさか要求事項にまでスコアリングといった点数評価をするのか?」

では著しい側面として決定された物の要求事項を方針に掲げるのはどうだろうか?

ボトムアップ方式をやるの? だけど、そんなことをして組織の運営に対してメリットを与える、掲げないことによってデメリットが発生するかな? 以前、客観的な証明を相田に要求したことがあるけど、彼は答えられなかったよ」

方針を掲げ、周知する理由はなんなんだろうか? と雅は続ける。

確かに、周知する以上、周知した職員達に何かを経営層が期待していることに他ならない。経営層は、期待した効果を職員が発揮することを求めているからこそ、方針を周知するのだろう。

「――逆に言えば、エリア管理責任者として事業方針に書き込むことは、職員に『期待していること』『職員に期待したこと』が分かるような事を書くんだよね? それによって、【組織経営に貢献する】となるんじゃないかな?」

雅の言うこともわからなくもない。相田とは違う観点だ。

 相田の場合は、武道に様に「こうあるべき」という「型」があり、その「型」にマネジメントの方式を当てはめようとする。型に当てはめることで、型が持つ形と効果が自動的に発揮されるという方向であり考えだ。
 その為「型」が本来あるべき姿や効果が「どういったものかの考察と評価」という手順を省略している。型の正当性を考えなくていい分、だろう。

 雅の場合はその逆で、まず考察と評価を行い、どういう方が組織にとって一番フィットするかどうかを見定めて型を形作るという考えだ。


前者の方式は、手早く簡単であるが、相性が悪ければ混乱を招く。
後者の方式は、相手に合わせてるために相性の問題や混乱は最小に抑えられるが、とにかく時間がかかる。

テンプレートを使用して作業をすることを良しとする人間と、デザインから構築してテンプレートを使わない人間が同じ業務に従事している、、、よくもまぁ、やれているものだと感心するばかりだ。

しかし、それではなぜ結論が同じなのだろうか?
それならば、削除するという結論にも達すると思うのだが………

「掲げなくていい方針であれば、何を掲げようとも運営に影響を与えない。第三者審査で審査員にチェックされるから、審査員が好みそうな方針の方が後後めんどくさくなくてよいだろうし、方針で宣言するだけで満足する馬鹿から身を守るお札にはなるからねェ〜。今の現状でうまくいってるなら、障るならそれなりに責任を持たなきゃなんないでしょ?」

要約すると、余計な波風を立てても損をするだけで得なことがないからやめとけということらしい。

ふむ、わからなくもないが、本当にそれで顧客満足につながるのだろうか?
もしかしたら、センター長は今の方針や認証に納得してはいないのかもしれない。
それを放置して、いきなり「やめる」と言いだされると、この仕事がなくなってしまう。

それもふまえ、請負の取るべき道とはなんだろうか?

一つ学んだことは、少なくとも総合研究センターの組織運営の効率化にはつながらないのは間違いないようだ。


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世の大半の環境方針は間違ってる?(2/2)

*1:戦術ではない

Noレジ袋

コンビニ出るとき、自動ドアに貼ってある「レジ袋削減にご協力ください」
とあった。

ああ、まだこんなアンチエコ活動を実施してるんだなぁ。

と感慨深いものがある。


帰りにレジ袋を無くすことで得をするのは誰だろう?と考えた。

イオングループやコープといった一部のスーパー?

確か、レジ袋一枚5円で販売していたはず。
ではイオンやコープといったスーパーは得をしているのか?

私が利用するスーパーの場合、レジ袋は以前のまま無料でもらえる。
マイ袋を持っていくとポイントカードに5ポイントつく(5円相当になる)

イオンやコープといったスーパーが同様にマイバック持参の方に対して1回5円程度のサービスを実施しているのであれば、特に得をしていないことになる。

イオンは何かやってたような記憶があるが、コープはやっていなかったような・・・・・・(あまり利用しないので覚えていない)

次にレジ袋を削減して嬉しいのはコンビニかと。
特にマイバック持参することで客に何らかのサービスなどはやっていないため。

以上より、一部のスーパーとコンビニはNoレジ袋活動によって利益を得ているということになる。
(利益というかサービスコストの削減)


だが、レジ袋削減はアンチエコ活動である。

レジ袋は石油系ナフサと呼ばれるものから作られる。
ナフサはガソリンを生成するときに発生する、本来はあまり物であり、それを再利用したものに過ぎない。

結局、石油からガソリンを生成する以上は必ず発生するため、保管することもできないのでどこかで利用するしかない。
議論の中では、以上を持って「レジ袋削減はエコではない」という考えもある。

ここまででは正確ではなく、過去に調べた範囲では、レジ袋に使用されるナフサの数量は、輸入する原油の一日分(年間数量)の数量に相当する。
輸入数量を減らせるからエコという考え方(という意見)もまたある。

国内数量分をどうにか消費しなければならないから、レジ袋を減らすことはエコにつながらない。

という考えもある。

ただし、日本は万年のナフサ不足で、ナフサを海外から輸入している背景もある。
その為、輸入量を減らすことで底にかかるコストとエネルギーを削減することはエコであり、輸入数量分の加工と燃焼がなくなればやはりエコだろうと。

ナフサは発生する以上は使われるから意味がない。
ナフサは輸入しているから削減することに意味はある。

まぁ、この二つの意見を見かけたことがあります。

私がアンチと表現したのはここにはない。

レジ袋というのは言い方を変えれば「添加剤」である。その為、ゴミと一緒に排出することで炉内の燃焼温度上昇を助ける働きがある。
しかし、このレジ袋削減による『有害な環境側面』としてゴミの中に含まれる添加剤の数量が減るということにつながり、減った分だけ別途燃料を投下する必要が出てくる。

炉内に投入する燃料は何か?
ナフサ―――ではないらしい。
(これは又聞きだが)、炉内に投入しているのは重油とのこと。
ナフサよりも沸点が高い為、温度上昇させるために必要な数量はナフサ以上になるという話だ。
*1

レジ袋だけでなく、容器包装プラスチックが分別対象になったので、ますます炉内の温度が上がらなくなるんだろうと。
十分温度が上がらないとダイオキシンが発生するわけで―――

結局、廃棄時に使用する燃料が増加するだけで、全然エコじゃない。ということで、私はアンチエコと評価したわけです。
プラスチックもサーマルリサイクルに回すなら、結局のところは加工の部分手間ですし。

さらに言えば、結果としてCO2の削減になっていないのであれば、レジ袋削減によりレジ袋を作っている人たちが犠牲になっただけの悪政策だったんじゃ……と。

包装容器リサイクル法もそうなんですけど、
http://www.env.go.jp/recycle/yoki/amendment/index.html
環境省のHPをみると、結局コストだけ跳ね上がっただけで廃棄物の絶対数量の削減につながっておらず*2、またCO2の排出量の削減にもつながっているとも思えない(下手をすれば増加している)のですが、、、なんか、評価方法、おかしくありません?

*1:これはどこまで本当かわからないが、ソースは廃棄物処理場で働いている人

*2:これは以前に評価済み

世の大半の環境方針は間違ってる?(1/2)

この物語はフィクションです。実際の登場人物や団体は架空の物であり、実在の人物ではありません。
主な登場人物

山下は客先の環境方針の内容が理解できずに苦しんでいた。

インターネットで各会社の環境方針なども眺めているが、どれも似たり寄ったりである。
そのことで親会社に努める事務局の二人に聞いてみたが、二人とも解答は違った。

マサ「環境方針含めて宣言している方針の大半はただの飾りです。外向けの建前でしかないよ。内向けは別にあってそれは周知されていないのが大半なんだな。だから、実は要求事項を満たしていないマイナーな不適合に該当する。なぜ放置しているかって? そりゃ当然、基本的な部分ですら気が付かない外部審査員の力量を図るためだよ」
相田「環境活動をやる、品質管理をやるのは内部に対してではなく外部に対してがメインですから、そんなものです。以前、雅が言っていたような経営の本音をぶっちゃけたものが方針だってのは、ありえませんね」

どうやら彼らの中でも方針については意見が分かれた議論がされたようだ。

私が疑問に思ったのは
1.地球環境に貢献する。
2.地球の温暖化防止。
3.資源の有効活用。
そういった壮大なテーマを恥ずかしくもなく掲げている点である。

また、中身はCO2の削減などの言葉も何度か出てくる。

そもそも組織の活動の中において、地球に存在するCO2の絶対量を削減することは不可能である。
CO2の削減など、目的・目標にまで組み込んである(請負先センターではそれが設定されている)が、事業活動が存在する限り、削減なんてことはありえない。日本語として正確に表現するのであれば、排出するCO2を減少させる。というものだろう。

地球環境に貢献するなど、はっきりって嘘だろう
嘘ではないにしても、あまりに壮大すぎて何が言いたいのかわからない。妄想も体外にしろと言いたくなる。
センター長は、国民に対してこの件について質問されたとき*1、きちんと答えることができるのか? 答えることなんてできやしないだろう。
答えることができる例なんて世の中見渡しても事業活動が環境保全に直結しているような場所くらいだろう。百歩譲って

地球温暖化の防止についても同様で、宣言するのであれば

  1. 国の政策である低炭素社会づくりへの取り組みに対して以下の協力をする。
    1. 排出量の把握
    2. エネルギー効率の良い機器への転換
    3. 老朽化設備及び建屋の環境負荷の低減につながる形での改修。

  これらの項目を費用及び効果を含めて計画的に実施していく。

表向きとして宣言するにしても、せいぜいこのくらいが好ましいのではないか?
少なくとも国からの協力要求のある事項である為、株主にも地球温暖化の防止などという壮大なテーマよりも説明しやすいのではないか?
また、前者の場合では地球温暖化の防止でCO2が悪者である。という部分に懐疑的な人間も少なくはない。そのため、CO2削減が地球温暖化防止につながることを説明することを求められた場合はどうするのだろうか? 「国が言っているから」では「どうして国が言っていることが正しいのか?」と切り返されることも考えられるため、そのようなことを回避するにも繋がるのではないか?


次の資源の有効活用。
これが一番わからない。

センターでは廃棄物を減らす、化学物質の数量をきちんと把握するなどが資源の有効活動につながることととらえて活動している。

しかし、物を買うときには個別ではなく、まとめ買いを行い、一本当たりの単価を減らそうとする。
学校の先生はペンシル1本買うのにも苦労するという記事を読んだのは何年前だろうか?
センターで一度に大量購入しているので言えば、やはり文具類とコピー用紙、ほかにはエアダスターなどもある。しかし、大量に購入してもきちんと使い切ることがなければ、それは資源の有効利用の考えから外れるし、一つ当たりの単価が安かろうと大量に在庫を抱えてしまい、未使用の物を廃棄することになれば、購入金額+廃棄金額を足したものを消費数量で割ると、単品で購入するよりも高くつくのではないか?

現に、官庁では過去にA4用紙ではなく、別規格のB5が主流であった。しかし現在はB5の需要はなくなり、A4が主流となっている。結果として大量に未使用のB5用紙が倉庫に眠るという状況が発生している。(B5は例で、他にはB4なども大量にある)

廃棄物を減らすなどと言っても、最初に購入するときはある程度まとめて購入し、結局は未使用で廃棄するケースが化学物質などでも発生している。
結局は使用サイクルおよび使用状況をきちんと把握せず、発注側の感覚で数量を決定するのが問題だろう。

未使用及び廃棄についても税金が使われるということを、きちんと考えて方針及び活動に反映するという一本の筋を立てていないため、適当な宣言となっているのではないだろうか、、、。

民間出身の私にとって、どうにも官庁関係のマネジメント活動の請負業務というのは、異世界に迷い込んだかのように。考え方や物事のとらえ方が違いすぎて、胃薬が常備薬になる事態になっている。

「労災、おりねーのかな」

胃薬も安くはないのだ。

この部分の本来の目的などを踏まえると

  1. 国の政策である循環型社会形成への取り組みに対して事業者の責務として以下の取り組みを実施する。
    1. 廃棄物の適正な管理
    2. 廃棄物の排出量の把握
    3. 再資源化可能な廃棄物の分別。
    4. 環境負荷の高い物品の数量等の管理

  これらの項目を費用及び効果を含めて計画的に実施していく。

この辺りに落ち着くと思う。
これらは法律で事業者の責務として要求されていることを方針に盛り込んだだけで、特に特別なことではない。出来もしない、やりもしないことを方針に盛り込む必要はない。


たとえ方針でも、金を出して余計なことをする以上、経営層には説明責任が伴う。民間では株主に対してであるが、センターでは税金で運用されている為、この場合は所管省庁と国民に対してだろう。


これらの考えをメールで親会社の雅と相田に改めて送り、考えとして間違っているかどうかを確認することとした。



センターの管理責任者と打ち合わせが終わった後、メールボックスを見ると先の件について相田から返信があった。
中を見ると、

山下様

 お世話様です。 相田です。

 内容について確認いたしました。
 率直な意見としましては、方針には別途「コンプライアンスの順守」とあります。
 修正内容につきましてはその範囲に含まれますので、やはり以前のようなものが良いと考えます。

 また、方針について壮大な内容を記載することに疑問を持たれていらっしゃるようですが、それは間違いです。
先に挙げられた国の政策が地球環境の保全に関連するものです。
ですので、方針の中で地球環境の保全に関するテーマを上げられることは、全く矛盾いたしません。

 環境方針を掲げるというのは、組織の利益を上げるための方針宣言ではなく、組織の環境に対する社会的責任を果たすために掲げる方針です。
 そのテーマとして、地球環境というテーマを掲げることによって、第三者審査やステークホルダーから異論が出ることはまずないでしょうから、気にする必要はないと考えれれます。
 もし、異論が出たとするのであれば、その人が地球環境の保全に努めることの重要性を自覚していないだけの事です。

 少なくとも国の政策の本質は地球環境保全であり、それが間違っているというのであれば、まず是正されなければならないのはセンターでも我々でもなく、国そのものです。
 国の行動方針に沿った方針をである以上、そこに異論をはさむ余地は本来なく、そこに疑問視する声がたとえ少なくないとしても、国という一機関であるセンターが反旗を翻すようなことは、そちらのセンター長は望んではいないのではないでしょうか?

 以上の理由より、方針で掲げた環境活動は地球の保全活動に関連するものとして、現行のままでよいと考えます。

長文、失礼しました。


このように締めくくられていた。

私は成程と思った。確かに、民間ではない。そのため、その方針の位置づけやあり方は違って陶然としてとらえる必要は、確かにあるだろう。

電話が鳴った。雅からだ。 私は通話ボタンを押し、電話に出る。

「もしもし、山下? 雅だけど、今時間大丈夫?」
私は大丈夫と答える。
「さっきもらったメールだけど、、、メールを書いているんだけど、きちんとニュアンスが伝わるかわからないから、先に電話で伝えておくわ」
私は相変わらずだなと思った。
今回は逆だが、雅はまずメールをだし、そのあと電話をよこして、説明を補足する。
以前、電話までする必要はないだろうと伝えたところ、メールだけでは報告や連絡にならない、見ていないケースも発生する。また、意図したところをきちんと理解しているかどうかも不明で、結構リスクが潜在している。その為、比較的な案件などは電話も必ず併用することで、誤解や事故を防止しているのだという。

「そっちの方針、『方針を配布する』なんて一文もあるよな?」
確かに末尾に書かれている。

「それ、消すように進言してもいいかもね」
方針は配布しないのだろうか?

「規格で要求している意図は、『求められたら配布することが可能な状態であること』であって、方針で宣言することではないんだよ。部外秘とか社外秘とかの区分があるよな? でも部外秘を部外で公示するためのルールもあるよな? つまり既に配布の為のルールはあるんだよ。方針についてもそれらの区分で識別されて管理されているのであれば、特に配布を宣言する必要はないから」

雅はそういって、方針の配布の為のルールもまた別途定めているのであれば、それらも含めて全部削除しても問題ないと伝える―――が、メールで質問した内容と電話の内容が違う旨を私は伝える。

「わかってる。山下の考え方は絶対的に正しいと思う。ようは、出来もしないことを目的・目標に掲げるのは馬鹿だろうという考え方をそのまま方針にももってきたってことだし、それは至極当然と感じる」

その答えを聞いて、やはり相田とは見解、、というより、着手の視点が違う、、、私に近いようだ。

「―――だけど、結論的には今のままでよいになるんだな。恐らく相田も結論は現行のままじゃないか?」

雅の答えに意外感を感じる。なぜそのような理由なのだろうか?

「確かに、世の中の環境方針は綺麗事ばかり並べたてやがって反吐が出る内容でしかないが――」

かなり思う所があるのだろうか、毒舌だった。

「―――が、客の経営方針だ。実態がそっちの管理責任者が、、正確にはそこから事務局に丸投げされて、山下が内容を作ることになるらしいのは分かっているが―――」


実はそうなのである。方針の中身は経営層ではなく、私たち環境管理事務局が作っている。正確には「(案)」という形ではあるのだが――

「――それはやめた方がいい。縦割りで業務が回せないこともあるのはわかる。でも、やっちゃいけないって部分もある。『配布を削除するように進言してもいいかも』という運用上、割とどうでもいいレベルでも『進言』がせいぜい。これすら駄目なレベルと判断される危険すらある」

誰が危険と判断するのだろうか。

「もちろん、厚生労働省に総合研究センターなら文部科学省だな。他には会計検査院だって考えられる」

厚生労働省は労働者派遣法関係でわかるが、文部科学省については・・・

「自分の会社じゃないんだ。特に総合研究センターの場合は特殊だろ。だから、障らない方がいい。障ると責任までついてくるしな」

特殊なのか、、私は雅に尋ねる。

(つづく)

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*1:外部コミュニケーション

クレームを利益に換える例

この物語はフィクションです。実際の登場人物や団体は架空の物であり、実在の人物ではありません。
主な登場人物


喫煙所にはいると、珍しく保全課の安藤(主任)が煙草を吹かせながら喋っていた。
聞いているのは設備課の久我山と工事課の小野寺である。
よう、と声をかけて会話に加わることにした。
「それで、俺は言ってやったんだよ。『お前はそれで疑問に思わなかったのか?』って」
「そりゃ、思わないんじゃないっすか?」
久我山が答える。小野寺は苦笑する。
「なんでだよ。保全ってのは、ただ単に言われたことをやってるだけじゃ、客に満足してもらえないんだぞ」
私は何の話かと尋ねると、安藤が客からクレームをもらったことが発端で、話が蛍光灯のランプ交換に移っているという。
「雅さんはどう思います? ランプが切れてたから交換した。なんか疑問に思います?」
久我山が質問してくる。
いまいち前後関係が分からないが、疑問に思えばいくらでも出てくるし、疑問に思わなければそのままだと答える。
「どういう疑問を持った?」
安藤と小野寺が訪ねてくる。
保全課の業務に求められているという前提で話したほうが良いか? と尋ねると、まずはそれでと答えが返ってくる。

蛍光灯のランプが切れたことによるランプ交換について、まずはランプの切れた状態を確認する必要がある旨をこたえる。
1.ランプに黒いすすが溜まっていれば、ランプの寿命を迎えたために不点灯となったと考えられる。
2.ランプに黒いすすが溜まっていなければ、ランプの寿命ではなく安定器の問題であると考えられる。
放電ランプの場合は、ランプ内のフィラメントが切れているかどうかがチェックのポイントだろうと答える。
「なるほど」
久我山が納得する。ランプがついていないからと言ってすぐに安易に交換すればよいと考えるのは、保全課の職員として力量を疑われてもおかしくない。と続け、その言葉に納得する。
「それで終わりか?」
先を促してきたのは小野寺である。明らかにまだ足らないのだろう。電気屋ではない私にあまり期待をされても困るのであるが、と前置きをして続ける。
ランプが切れたからと言って、では次にそのランプは定格寿命分の仕事をしたのかどうかが不明である旨を伝える。
「そうだ、保全課なら少なくともそこまで考えが及ばなければ、使い物にならない」
安藤が同意する。久我山はどうやらわかっていないようだ。私は言葉をつづける。
ランプというのはラビットで6000時間くらい、インバーターで12000時間。
年間常時点灯させてもラビットであれば二年は切れない、インバーターであれば4年はランプが切れないと伝える。つまり、保全の業務として前回、ランプ交換してからどの程度の年月が経っているか。オフィスであればさらにその倍の年月は寿命が持つはずだと続け、きちんと寿命を迎えてのランプ切れなのかどうかを把握することまで、保全課の安藤といった主任や、係長といった中堅社員は期待しているのではないか?と答える。
「でも、前回のランプ交換したのは何時かなんてチェックしているんですか?」
流石にこれは私は把握していない。この久我山の質問に対して小野寺が答える。
「いや、特に車のオイル交換みたいなシールを張ったり記録には残していないはずだ」
工事課だからと言って保全課と全くかかわりがないわけでは無い為か、内容について把握していたのだろうと私は思う。安藤を見ると、安藤も特に反論はしていない。
「やることやってないのに、若手にそんなのを求めるのはちょっと厳しいんじゃないですか? ランプ交換で客に何か言われたわけじゃないんでしょ?」
久我山が安藤に尋ねる。
「前にいつ交換したかまではやっていないだけだよ。今回はそれ以前の問題だったからな。俺が問題にしている本質は、客に対して『ランプ交換しておきました』ではなく、『寿命を迎えていたのでランプを交換しました』と声掛けするのが保全課としての責務だろうということだ」
「そこまでやるんですか?」
久我山は納得できないようだ。
「客に逆に質問されたとき、きちんと把握しておくべき点を把握せずに、はっきりと答えることができるか?」
「それは、、確かにそうですけど」
「答えられなきゃ、それはクレームにつながるだろ?」
「でも、雅さんはクレームはあった方がいいって」
いきなり私に振られて飲みかけのコーヒーを吹きそうになりむせてしまう。
私は久我山に想定されるクレームはない方がいいに決まっていると伝え、あくまでクレームは想定外が好ましいんだと伝える。
「そうなんですか?」
久我山はどうにも納得しない。
「雅は少し言葉足らずだな」
そういったのは小野寺である。
「想定されるクレーム、これは事故も同じで、リスクには度合いがある。クレームを想定していても、それへの対策コストに馬鹿みたいに金をかけることはできないだろう? まぁ、安藤や久我山あたりにはちょっと厳しいかもしれないが、係長以上なら少なくともコスト計算までできるようになっておかないとな」
わかるか? と続ける。
私は引き継ぐように、久我山に説明する。
ランプが切れたことによる原因究明として、どこまで自分たちの持ち出しで原因を究明するか、逆に客に原因究明のための調査費用を出させるか。ランプが切れるたびに調査をしていてはキリがない。
コストも莫大にかかってしまう。
その線引きとして、保全課は前回のランプ交換の日時まではやらないが、ランプのキレ方から寿命を迎えたか迎えていないかまではチェックする運用にしているのだろうと伝える。それ以上の原因について客から文句が出たとしても、それは甘んじて受けるという体制なんだとおもうが、どうだろうかと安藤に尋ねる。
「たぶん、そうだと思いますよ」
たぶんかよ、と私は心の中で突っ込みを入れつつ、安藤はどうやらそこまで考えたり確認したりをしていないようだ。
「たぶんじゃ、困るんだけどな」
そういったのは小野寺である。
今回の事で個人的に思うのは、安藤が今回ランプ交換した人間に対してきちんと自覚させ力量を持たせるために指導していない点と、その安藤に対しても上司がきちんと指導していない点に問題を感じている。
どうやら保全課というのは、安藤や新人を含め、自ら調べ、自ら勉強し、自ら疑問に思えと放置する業務姿勢のようだ。
「まぁ、点検項目を増やすなら、次は入力電圧の確認くらいだろうなぁ。そのくらいまでならコストに響かないだろうしな。それ以外は、別の点検で絶縁測定くらいはやるだろうし、客にも我々も無理に金のかかることをする必要はないだろ」
小野寺はそう締めくくった。


「『でも、しっかり調べろよ。プロだろ』って客先から言われたらどうしますか?」
安藤が小野寺に問いかける。
「当然、『調査費が別途かかりますよ』って答えるのも一つの手だろう」
「それって、喧嘩を売ってません?」
小野寺の答えに久我山が質問する。
「とはいえ、すべてのクレームに対して個別に対応していたらきりがないからな」
「クレームがあった場合、そこをピンポイントでやるんですか?」
「まぁ、そうなるだろうな」
「それだと、品質の改善や運営の改善にならないんじゃないですか?」
なかなか久我山は頑張るなぁと思って聞いている。少しばかし小野寺の旗色が悪くなってきた。
最初は技術およびコスト面での理論的な話だったが、感情的な部分で切り替えられると、さすがに小野寺も応えずらいようだ。


たとえ8割客が満足しても2割満足しない客がいた場合、その二割の客が悪評を流して売り上げに影響を与える。

というのはスーパーなどではよく言われる話ですよ。と、私は久我山を支援する発言をする。
井戸端会議と呼ばれる情報交換の場がある為、主婦層への配慮はスーパーといった主婦がよく利用するお店の場合はクレーム対応は生命線ともいえる。コストが掛るからと言って簡単には考えてはいけない。
対応コストだけはなく、損失までみないといけないのではないか?そう続ける。

「そうはいってもな。損失計算までは難しいぞ。それにクレームを放置するわけじゃないし」
「でもやらないのでは不満が残りませんか? そもそも先程、主任や係長に対して要求されている力量があるように、課長に対してはその損失に対する計算や判断そして個別の不満に対して解決するだけの力量が求められているんじゃないですか? 特に最終的にどうするかなんて、管理職の方が決定して内容を採決する裁量権があるんですし」

久我山君、さすがに言いすぎだと思った(現場色の小野寺にそれを求めるのは酷である。世の中には技術職と管理職と分類があり、ここにいる全員が技術畑である為、管理職畑の人間と同じレベルを求めてしまうのは責任違いというものである)が、その反面グッジョブとも思った。

当社の社風では、下の人間にはオールラウンダーであれと要求する反面、上の人間に対しては自覚も力量も『わからないんだから仕方がない。事務局が分かってて、すべてを説明し、すべてをうまくやるだけの案を持ってきて、すべて対応すればよい』という方向に進んでいる。
仮に、社内の内部コミュニケーションの範囲内で、下の人間が問題点を指摘しても、『じゃぁ、お前がやれよ』と突き返してしまうという事例が散見されていた。
これでは、内部コミュニケーションが上がらない負のスパイラルであるスパイラルダウンが発生している。

クレーム件数を増やすためには、直接顧客と会話し、その会話の中で相手先が不満に思っていることを抽出する作業を行う必要があるだけでなく、内部に対しても同じように取り組む必要があると感じている。

しかし、それだけではなく、客や内部の職員がきちんとクレームを出す、そういった仕組みづくりも取り組まなければならない。

いま、安藤や久我山、小野寺の会話で出てきているような話は、本来はISO9001やISO14001に関する対応業務を実施している私や相田といった技術管理課と、片岡のいる管理課が『仕事をさぼっている』という話に直結する。

記録には残していないが、喫煙所に出入りしているおよび社内の各所に顔を出して雑談しているのは、そういった不満や愚痴の中にある「内部コミュニケーション」を抽出する作業の一環でもある。

記録に残してしまうと、だれだれが不満を言ったという吊るし上げに繋がる為である。
世の中にはどうにも犯人探しが好きな人が多い。
そういう人たちから守るために記録には残せないケースもあるのが実態であったりする。


久我山の課長職の責任について言及され、小野寺としては面白くはないのだろう。それは違うといっていろいろ説明しているが、先に私が挙げた社風の問題が顕著に表れた範囲の説明を超えるものではなく、対応を下に丸投げしても問題ないといった言い訳じみたものであった。


対策として―――――

そう私が切り出し、二人の言い合いを―――

―――営業に丸投げるという方法もありますよ。

そう言って止めた。

小野寺としては下に要求しているようなことを課員、主任、係長時代に上から要求されているからできるはずだが、と前置きし、組織としては結局利益にどうつなげていくかという所まで本来はつなげるべき話でしょう。と伝える。

「どういうことだ? クレームを金に換えるなんて錬金術じゃあるまいし」
「いやいや、錬金術は物を別の物にかえるんであって、言葉をものに換えるものじゃないでしょ」
安藤の言葉に久我山が突っ込む。

私は気にせず、先程のコストの話とどこまで調べるかという話になりますが…………と前置きを重ねて続ける。

ランプが切れた。
ランプの寿命をきちんと迎えたのであれば、それは交換で済みます。客にも説明すれば納得していただけるでしょう。
保全としてはピンポイントから居室の一斉交換に変更し、次の交換時期を寿命と運用状況から事前に計画する手法に切り替えを客に提案する。
ランプが切れていないという状況で交換することになりますが、切れたから交換するという考えは、事故が起こったから対応するという考えと根本は同じですから、事故を起こさない、ランプが切れないという防止の方向に考えをシフトしてはどうでしょうか? と客に提案するような説明を営業にしてもらう。
まずこれが一つの解決案でしょう。ランプの交換数、その絶対数は上がるでしょうが、計画して交換するため、1本あたりの交換費用を安く済ませることができるという経営メリットもあります。計画交換なので、当社としても安定的に交換に関するため、売上の数値は事前に算出できます。人員の配置も計画に基づいて実施できるのは悪くはないと考えられる。

次にランプが定格寿命を迎えていない場合
少なくとも入力側の電圧に異常がある場合は、電源系統の保守メンテの記録を参照しなければなりません。
電源盤の電圧測定は別途実施しているでしょうから、そこの数値に異常があれば別のラインで報告が上がると考えれれます。
となると、電線路か安定器に問題があるとみてよいので、想定される範囲で回答し、照明の設置時期を確認、、、この場合は建物の建築年月日になると思いますが、それを確認して経年劣化かどうかを判断し、経年劣化であれば今後は他の照明も含めて一斉交換を提案する。
はっきり言って調査をして原因を究明しても、一灯交換するだけの費用を超えてしまうでしょうから、それなら最初から交換してしまい、今のよりも性能の良いインバーター高出力1灯型に変更してもらい、省エネも同時に図る方向で考えてもらえば、客にとっては悪い話でもないので顧客満足にもつながり、当社としてもそのまま交換工事のための契約に結び付いてWinWinの関係になる。
金がかかるから無理というなら、一室単位からもっと細分化した照明のスイッチライン単位でもよいでしょう。保全契約の中で実施することも可能でしょう。
次に考えられる問題は電線路ですが、これも絶縁抵抗測定を実施ししているでしょうから考えにくい。
ただし、築25年を超えているのであれば、線路の内部抵抗次第で交換を進めてもよいのでは?


と、ランプ1灯切れた。原因は何? というクレームからここまで対応可能なわけです。
営業に対しては、クレームが新たな契約に結び付けることが可能であるということをきちんと自覚してもらい、契約が結びつかなかったとしても顧客満足度の向上にこそなれ、低下にはならないと考えられる。
なので、営業に一旦丸投げて頑張ってもらうのも一つの手法と考えられますが―――

という説明を三人にする。

安藤と久我山な同意を示すが、小野寺は『丸投げる』という部分に引っ掛かりを覚えたのだろう。
全部を他部門に任せるのは正しいとは言えないだろうと指摘してくる。

「ただ、利益を追求するのは当然だから、やはり利益にどう結び付けるかを考えるのは重要だろうな」
そこは営業につながるから、営業グループが全く無関係とは言えないだろうとして、今回の喫煙所での会議が終了という運びとなった。


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いま、私は労働組合法を見ている。机の上にはわが社の組合規定と組織の内部通報規定の二つの規定を印刷したものが置かれている。

内容を確認している理由は、ISOの内部コミュニケーションに関する要求事項を満たしているかどうかのチェックである。

なぜこのようなチェックをしているとというと、ISOの内部コミュニケーション規定というのが別途定められているが、そんなものはそもそも上記二つの範囲内で済ますことができ、ISO文書である内部コミュニケーション文書を廃棄してしまおうと考えたためである。

(……若干の調整は必要だけど、とりあえず内規については体制管理外だから、外部文書と同義だという弁で外部文書扱いにとして位置づけてしまうかな。それで、一時的にでもISO信者の眼を誤魔化すことができれば、、、、外部審査員には今後、組合規定と通報規定が要求事項を満たしているかどうかをチェックさせればいいし、それで社内のISOシンパを納得させればいいか)

さて、問題になるのは

「そんなやり方聞いたことがない」
「普通、そんな風な仕組みにしない」

そういってくることが目に見えている二人をどうするかで頭を悩ませている。
どちらも個人的な感情論から始まる為、どうしてくれようかと……そう考えていたとき、私の電話が鳴った。

「よう、雅か?」
電話の主は、総合研究センターで支援業務をやっている山下からだった。
どうしたんだと尋ねると、ちょっと相談したいことがあると答えがかえってくる。
「実は先日、サーベランス審査があったんだけどよ」
それは初耳だった。山下からは審査前に特に相談がなかったからだ。
「いや、俺も聞かされていなくてな、いきなりなんだよ」
どうやらドッキリにはめられたようだ。私は山下に対する扱いが、どうにもパワハラを受けているように感じる。これは明らかに重大な連絡ミスといえよう。
「そうなんだよ、、、それで、いろいろ言われたんだけど、さっぱりでな」
どうやら、それなりに『改善の機会』というものをいただいた様だ。
「対応は丸投げされてな。どうすりゃいいのか、ちょっと相談に乗ってくれ」
相当参っているのは、電話口からもわかる。しかし、内部監査だろうと第三者審査だろうと、審査での指摘は顧客側の業務を請け負っているだけで、その対応をどうするかは顧客側が決定し、支持を受けるだけではないのか。私が彼にそう尋ねると
「問題内容に運用させるのが業務で、それを請け負っているんだから問題内容に対応するのが当然だろうと返されたよ」
彼の言葉に、請負業務の法的違反の疑いがあるが………総合研究センターのコンプライアンスに対する考え方はどうなっているのだろうかと不安になってきた。
とりあえず、案は出すからどうするかは先方に決定させろと伝える。
「……納得するかな?」
不安になっている山下に、責任の所在はこちらにはないんだから、少なくともこちらで勝手にやるわけにもいかないし、その決定権は先方にある。決定はこちらではなく向こうに絶対にさせろと強くいった。
山下は取り敢えずわかったと了承する。恐らくまた何か丸投げしてきた顧客の担当者からはぐちぐち言われることになるのだろうと思うと、同情してしまう。
「それでな、ちょっとわからないのが、内部コミュニケーションや外部コミュニケーションってやつだ」
彼の相談をまとめると、どちらのコミュニケーションもほとんど提出されていないことを問題視されたのだという。

お題
・コミュニケーションのルールが確実に運用されるように工夫されるとよいでしょう。

このような指摘を出されたことは私もなかった。少し詳しく聞くと、どうやらサンプリング審査の中で、EMSやQMSに対して様々な考えや意見を職員から抽出できたらしい。
しかし、職員各個人が様々な思いを持っているのに、コミュニケーション記録がない。
意見がないからコミュニケーション記録が出てこないのであればわかるが、意見があるのに出てこないのはコミュニケーションの仕組みに問題がある可能性があるとして判断したらしい。

その意見を聞いて、私は成程なと思った。
確かに、当社についても事故の発生件数に対してヒヤリハットとして現場から提出される件数は事故件数よりも少ない。ハインリッヒの法則に基づけば、現場でのヒヤリハットは事故1件に対して30件はあるはずだ。
そのため、安全担当者は現在、ヒヤリハットの件数の少なさに頭を悩ませている。

「どうすればいい?」
山下の質問に、私は原因はわからなくもないが、解答は俺もわからないがいいのか?と答える。
「ああ、とりあえずわかる範囲でいい」
山下の了解を得て、私は三点挙げた。
1.日本人はNoと言えない人種だから。
2.空気を読む。
3.面倒事を嫌う。
「どういうことだ?」
流石にこれだけではわからなかったらしい。
私は山下に言葉を付け足すことにする。

一番目のNOと言えないのは、ようするに「あなた、間違っていますよ」「嫌です」など、はっきりとした表現を使うことを嫌う傾向がある。はっきり断言してしまうと、言葉に責任が伴うため、どうしてもぼかしてしまいがちになるのが原因の一つで、意見という形ではっきり物を言うことに抵抗があるのが一つ目の理由であると考えると伝える。

二つ目の空気を読むというのは社風で、周りが積極的に意見を交換しているのであればそれに倣うが、そうでない場合は同じようにそれに倣う。協調性が高いといえば聞こえがいいけど、実態は個性がないからだろうと伝える。意見が出てこないのはそういう風土で、過去に意見を出してきた人の性格なんかを調べてみると面白いと思うぞ、恐らくけっこう個性的な、というかあくの強い人じゃないか? 付け加える。

三番目としては、紙に書くという労力、伝える、説明するという労力を嫌うために出てこないのだろうと答える。

「う〜〜〜ん、本当にそうなのか? それだと、どうすりゃいいんだ?」
あくまで今のは私の考えだと伝えた後、今のルールは規格の要求に基づいて作られたルールじゃないか?と質問する。
「わかんねぇけど、そうなのか? それだと何か悪いのか?」
山下の質問に対し、私は悪いと答える。
ISO規格は日本で作られた規格ではない。コミュニケーションの考え方がそもそも違うため、規格で要求していることが問題ないとしても、日本のコミュニケーションの手法に合わせて変更する必要があると答える。
「え? どう違うんだ?」
それを知っても問題解決にはつながらないが………と前置きし、欧州やアメリカでは職員もお客もクレームに困ることはない。つまり、待っていても向こうからクレームがやってくるんだ。
だけど日本の場合、あまりクレームを言う習慣がない。クレームがない代わり、二度目がない。海外の企業が日本に市場を開くときに一番困るのがこれだな。客から不満の声が上がらない。上がらないのに客がどんどん減っていく。何が悪いのか、店側はさっぱりわからない。品質改善の機会を得ることができないわけだ。これによって、どれだけの海外企業が日本で泣いたか分かったものじゃない。
そういった実例が調べると結構ある。興味があれば調べてみるといいと伝える。
「なるほど、規格のコミュニケーションは、クレームは待っていても向こうから来るという前提で組まれているから、コミュニケーションの記録はそこそこ集まるが、日本の場合はクレームを出す習慣があまりないから、コミュニケーションの記録は集まらないってことか?」
そういうことだと答える。

「つまり、コミュニケーションの記録がないのは日本人の気質の問題だから、少なくても仕方がないって解答を審査員にすればいいんだな?」
山下のこの回答に、しばし沈黙してしまう。

このセリフが相田からもたらされていたら、私は絶句してしかっている可能性が高い。
しかし相手は山下である。正確には、山下は顧客の業務を請け負っているに過ぎないからであって、相田が山下の立場で同じように言えばやはり沈黙しただろう。
「どうした?」
急に黙ってしまった私に、山下が問い掛ける。

私は山下に、本来であれば、、、という前提で言葉をつづける。

内部および外部のコミュニケーションはある意味、組織の運用改善につながるネタである為、出てこないよりは出てきたほうが良い。そうしないと、日本にやってきた海外企業の二の前になる可能性もあるから……
そして、日本と欧州を比較し、日本に合わせた仕組みに変更する必要があると述べたのは、クレームを待つ方法から取りに行く方法に変更しなければならないという部分にあると答える。

そのうえで、、、、と、さらに話を進める。
総合研究センターに寄せられたクレームの処理をするのは、請負会社の山下になる。
当然、クレーム処理を行うために工数が発生するが、その工数は持ち出しになってしまう。
少なくとも仕様変更で追加発議してもらえるとは考えにくい。
現状、クレーム処理も含めて請負で、内容や考察についても話を聞く限りでは丸投げされてしまう可能性がある。
クレームがないと困るのは客先である総合研究センターで当社ではない。沈黙した理由は……

「……なるほど、そのバランスってわけか」

クレームがたくさん来るということは、業務を請け負っている当社の業務手法に問題があるとされかねない。
しかし、クレームが来ないということは、顧客のマネジメントが改善されない。顧客満足を向上するにはどうすればいいか、わからない。

この考えが山下にも伝わったのだろうか、一緒になって『うむむむむ』と悩むことになった。


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